野村羊子Blog
 日々の思いや行動などを綴っていきたいと考えています。よろしくお願いします。

2007/01/31
少子化対策??

柳沢伯夫厚生労働相は27日、松江市で開かれた集会で、「15-50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と述べたという。
この発言にはいくつもの問題が重層的に重なっている。
まず、女性を「機械、装置」と例えていること。言い換える必要の全くない例えで、女=産む装置と彼が考えている事が透けて見える。

さらに、女性たちが今産めない状況におかれているという現実を無視した発言だということ。
数が決まっているからと言うが、少子化は、産める年齢層の女性の数が少ない(?)事が問題なのでもない。
もし、15~50才(生物学的出産可能年齢としたこの区切りにも問題はあるが、今は横に置く)の女性が、それぞれ希望するだけの子どもを産むことができるなら、これほどの少子化にはなってはいないだろう。しかし、希望と現実は違い、実際に産める状況がないということが問題なのだ。
たとえば、正社員で働いている女性は、キャリアや仕事を中断することに躊躇せざるを得ない。あるいは男性とともに過労状態で、産むことや育児など、人生の次のステップを考える余裕がない。ようやく落ち着いた頃は、からだがついていかない事も多い。
あるいは非正規雇用の女性たちは、専業主婦として暮らせる男性とでなければ、結婚・出産を考えられない。でなければ、何百、何千万とかかる育児費用捻出は難しいとわかっているからだ。さらに非正規雇用の男性は、生活を維持していくために過酷な労働状況におかれ、結婚はおろか、恋愛する暇すらない。
加えて避妊情報が行き渡っている今、偶然産まれる事は少ない。あえて産むことを選ぶ必要がある。その選択責任は女性が担わされている。結構重い責任であり決断である。
このような状況の中で、どうやって安心して子どもを産むことができるというのだろうか。

そして、このように少子化というのは社会の問題であり、女性個々人の問題では決してないのにもかかわらず、女性個人の努力に帰した点は非常にもんだんである。まさに自らの無策を棚に上げ、責任転嫁をはかっているのでは、と思わせられる。
希望したら安心して子供が産める社会やシステムを作る、それこそが厚労相に課せられた課題なのではないだろうか。

にもかかわらず、この発言。この国の政治家の貧相さにがっかりする。しかし抗議だけはきちんとしておこう。これがおかしいと思う人の声も、大事なのだから。

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