野村羊子Blog
 日々の思いや行動などを綴っていきたいと考えています。よろしくお願いします。

2007/03/09
「となり町戦争」

「となり町戦争」(三崎亜記 集英社文庫)を読んだ。ある日突然、となり町と戦争を始めるという公報に接する主人公。相も変わらぬ日常の中で実感のないまま、突然偵察員に任命される。
作者が現役の公務員(市役所勤務)と聞いて、さもありなんというところが随所にある。
国からの補助金がついたから、追加の戦争ができるという市の担当職員。彼女にとって「戦争」は業務。
地元説明会の風景も、やけにそれらしい。全般的な質問をと言われつつも、個人的事情を確認したがる出席住民。時間の来たところで質疑をさっさと打ち切る担当者。
特に資料風に添えられている書類が、まさにお役所書類そのもの。作者のプロフィールを知らずに読んだ友人が、この人きっと役人だよ、と断言。確かに関係者(市の職員か市と契約する業者)でなければ作れないような公文書風の書面。それがこの小説にリアルさを与えているかというと、そうではない。よくできているなあと、その精巧さがかえって作り物めいたゲーム感覚を増長させてしまう。

文庫版についている別章ではさらにそれが際だっていた。自治体の地域振興計画の業務を請け負う会社の新入社員の視点で語られるサイドストーリー。業務の内容を知らぬままに、物資調達などの業務をこなす。地域振興が「戦争」だと知った彼女に対しての上司の反応。
あるいは、自治体の仕事とは何か、何のための開発や地域振興なのか。上司の堅い言葉を通して語られる内容は、作者がちらちら考えざるを得ない立場にいるからこそのものかもしれないと思う。
公がなすべき仕事について、今考えている身にとっては、そういう意味でちょっと面白かった。
自分の体験をベースに描くのがいい、というデビュー作のセオリー通りの作品。新人賞を受賞するのもうなずける。

しかし、消化不良ではある。あくまでも何のために「戦争」をするのか、「戦争」がどうして地域振興になったのか、「戦争」の実態や結果などは、ここでは、一切語られないからだ。主人公にもわからないまま、これまた唐突なラブシーンで物語は終わる。この終章の唐突さに、本を投げ捨てたくなったと言った友人がいる。私自身そこまでではないにしても、さらに意味不明の上塗りをされて、困惑してしまった。彼にとって理不尽さを実感できることが、想う女性が運命に翻弄されるのを見ること、ということか。最後までリアルな体験や実感のない主人公。でも、それが今ウケルのかもしれない。

しかし、いかにも男性の描くラブシーン。名前だけ見たときには、作者を女性だと勘違いしていたが、ここまで読んだら、あれっと思ったはずだ。それくらい女性がただ単に美しく神秘的に描かれている。彼にとってはブラックボックスで、その瞳の中に彼が勝手に斟酌した思いが宿るだけ。女性の生身の思いや姿は一切描かれていないのだから。

発想は悪くない。文章も読ませるだけの力はある。しかし、情感というか実感のなさというか、実感がないと嘆く主人公の実感すら感じない。あるいは、あえてしているはず説明不足の奥が、本当にきっちり構築されているのか心許ない。終章の唐突さでそれが崩れてしまったようにも感じる。それも計算の上だとしたら、やはりちょっと甘いのではないだろうか。
映画化もされ上映中だというが、映像化はしやすい作品だと思う。今時のわかりやすい、ちょっと思わせぶりな映画に仕上がっているのだろうと思う。

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