野村羊子Blog
 日々の思いや行動などを綴っていきたいと考えています。よろしくお願いします。

2007/03/06
平和

この文章は、街頭スピーチの案の一つとして考えた原稿です。実際はこんなに長々とは話ができないので、はしょりにはしょってポイントだけを話しています。触れない部分もたくさんあります。ニュースにも抜粋して短いものを載せました。今回掲載するにあたって手を入れましたので、さらに長文になってしまいました。皆さんと考えあうきっかけになればと思ってます。


 おはようございます。
 皆さんは、「平和」というのはどんな状態だと思いますか?「平和」というのは単に戦争がない、ということではありません。ありとあらゆる暴力のない状態を平和といいます。人権が尊重され、誰もが生き生きと安心して暮らせる状態、それが積極的平和とも言われる、本当の意味の「平和」です。
 皆さんは、今の日本は平和だと思っていますか?戦争状態ではない、ということでは「平和」です。ですが、暴力がない状態とはいえません。さまざまな犯罪は暴力です。強姦や痴漢も暴力です。ドメスティック・バイオレンスもセクシュアル・ハラスメントも暴力です。虐待もいじめも暴力です。差別も構造的な暴力ですし、環境汚染も暴力です。
 私たちは、暴力のない平和なまち三鷹をつくりたい。誰もが安心して暮らせるまち。ありとあらゆる暴力のないまち三鷹。それぞれの人権が尊重され、誰もが生き生きと自分を生きることのできるまち。そんな三鷹を、私たちはめざしています。

 三鷹市は非核宣言都市です。もっと進めて、あらゆる暴力をなくし平和なまち三鷹をつくりましょう。そのためには、憲法9条を変えてはいけません。世界に誇れる平和条項を削って、普通の国、戦争のできる国にすることで、誰が得をするのでしょうか?私たち国民ではありません。戦争状態になったとき、国や軍隊は国民を守りません。沖縄戦での惨事は、決して特殊なことではありません。イラクやパレスチナで起こっていること、そのほか世界中で起こっている戦争やテロで、被害を被り殺されていくのは普通の市民です。私たちは平和な国、平和なまちで、安心して暮らしたい。戦争を、武力を認めない国だからこそ、国内でも平和が保たれていくのではないでしょうか。「憲法9条改正反対」と市議会でも声を上げてほしい。自治体から国への「意見」として、議会決議をしてほしい。私たちは平和なまち三鷹をつくりたい。

もちろん共謀罪はいりません。何でもない会話が、犯罪を共謀したと罪に問われかねない共謀罪。人を誘っておいて自分が密告すれば罪を問われないという共謀罪。盗聴やスパイを容認する共謀罪。冗談が罪になる共謀罪。私たちの暮らしにそんなモノはいりません。
 今、政府は、突然大幅な修正案を出し、対象となる犯罪を減らすことで、共謀罪を成立させようとしています。参議院選挙前のこの時期に、継続審議で休眠中の法案を突然成立させると言い出した安部首相の真意はどこにあるのでしょうか。予算案と同様に、どさくさに紛れて数の力で押し通すつもりなのでしょうか。少数者の意見に耳を傾けない、これも数の力をふるう暴力です。
 私たちは、共謀罪に反対します。市議会ではぜひ、反対決議を出し、国に対して意見表明をしてほしい。一緒に平和なまち三鷹をつくっていきましょう。

 ドメスティック・バイオレンスも、セクシュアル・ハラスメントも暴力です。パワハラ、モラルハラスメントも暴力です。スクールセクハラも痴漢も暴力です。被害に遭うのは力の弱い存在、女性や子どもです。女性の力が強くなったと言われますが、性犯罪の被害者は圧倒的に女性と子どもです。女性と子どもが被害に遭わない平和なまちをめざします。そのためには、教育・啓発活動が欠かせません。学校の教育現場、職場やコミュニティなどにおいても、実効性ある研修を実施してほしい。
 もし万が一被害に遭ってしまったら、その人がちゃんと支えられ、回復の道をたどれるような解決機能を持つ相談窓口が必要です。ただ単に話を聞くだけではない、解決をめざし方策を考え、サポートしていくことのできる窓口。被害にあった人だけではなく、その周辺の人たちやサポーターをも支えることのできるシステム。調整機能を持ち具体的解決に結びつくような相談体制の拡充を求めます。

 いじめは格差社会の反映です。競争社会の中にあおられ、追い詰められているからこそ引き起こされるものです。最初にいじめが原因で子どもが自らの命を絶ったと大きく報道されたのは、1986年のことでした。それから20年たっても、ちっともいじめは解消されません。
 当時の臨時教育審議会では、「個性の重視、カウンセリング体制の充実、教員の重点的な手当てなど、(略)条件整備。同時に、個々の親を含めた大人社会全体の責任で、受験戦争の緩和のほか、例えば、子どもの遊びや直接体験の場を増やしていくことで、他人の痛みを知る心を培っていく必要がある。このことを自覚したい」と分析しています。しかし、実効性ある対応策がとられないまま、現在に至っています。ここへきて教育再生会議は、管理強化と排除の論理で、体罰容認・厳罰化を諮ろうとしています。実際10年前の1994年には、やはりマスコミに大々的に取り上げられた事件のときに、文部省(当時)は、厳罰化に言及しているのです。しかし、それでもいじめはなくなりはしませんでした。職場をはじめストレスフルな大人の社会でも、管理強化したからといっていじめはなくならないでしょう。問題に蓋をしただけ。蓋の下ではさらにいじめが深刻化する可能性があります。子どもたちの社会は、大人社会を映す鏡なのですから、根本的な解決を考えるには、今の社会の有り様を変える必要があるのでしょう。
 そういってしまうと、何をどうしたらいいのかわからなくなってしまうかもしれません。実際は簡単なことです。人権を尊重し、多様な個性を認めあえる環境整備、それこそが今求められるものではないでしょうか。社会全体の問題として取り組む必要がありますが、とりあえず、今目の前でできることは、学校現場に余裕をつくるということだと思います。子どもも教職員も保護者も支え合い考え合える場をつくっていく。それには時間に追われる教職員や、子どもたちの余裕をどうやってつくっていくかがポイントでしょう。互いを認め合い、思いやっていくという体験をする、保護者も地域も巻き込んで行く必要があるでしょう。知恵を出し合い考え合いともに取り組んでいきたい。
私たちは、「平和」なまち、それぞれの人権が尊重され、誰もが生き生きと自分を生きることのできるまち。そんな三鷹をめざしています。

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